目が覚めると、ころんと右隣を見る。
隣には、布団1枚分のスペースががらんと空いている。
そうだ。
もう、あなたは居ないんだったわ。
5年前に亡くなったのに、まだ朝起きたときに隣を見る癖が抜けていない。16歳も年上なんだから、あなたが先に行くことは覚悟できていたはずなのに、はずだけど。
何歳になったって、1人きりはさびしいものだと思う。もう、今年で私も80歳なのに。
最近、寝起きに腰や関節が痛むようになった。
近所に住む娘は、身体の調子が優れない日には店を手伝いに来てくれる。
横になったまま、あなたがギターを弾いているかっこいい写真に目をやる。写真の前には、ギターのピックとあなたが吸っていた煙草が1箱置いてある。
「ねぇ、あなた、今何をしてるんですか?」
「ギター弾いてバイク乗ってるに決まってるだろ」
声は、ちゃんと返ってくる。
「ずいぶん楽しそうじゃないですか」
「そりゃそうだよ。毎日こっちでいろいろと忙しいのに、お前はいつも呼ぶからその度に下りてこなきゃならない。まったく忙しい」
「それはそれは。失礼しました」
声は聞こえるのに、あなたは横にいない。
少し、笑ってから
「よいしょ」
と重い身体を持ち上げる。
起きたらまず、ハムスターに餌をやる。
「はい、ハムちゃん。おはよ」
あの頃と同じ名前を付けた、ゴールデンハムスター。
ふっくりと可愛らしい黄金色のハムちゃんは、ほっぺたぎゅうぎゅうに餌を詰めて、自分の寝床へ持っていく。手でほっぺたをぎゅうぎゅうと押して、エサを出す仕草まで可愛い。
お水を足すと、可愛い手を飲み口に添えて、ちろちろと水を飲む。
もこもこもこと動いて、回し車の中をからからと走る姿が愛おしくて、しばらく目をやる。
ハムちゃんの餌やりが終わると、揚げパンの仕込みに入る。
揚げパンを一通り揚げおわると、あなたの写真の前に揚げたての揚げパンを一つ置く。
「はい、どうぞ」
「今日のはちょっと揚げ過ぎじゃないのか?固いぞ」
「そんなことないですよ」
「だからお前は。なんでも大雑把だから。俺がせっかくレシピを残しておいたのに」
「はいはい。」
「おばあちゃん、誰と話してるの?」
孫のなずちゃんが気が付けば私を覗きこんでいた。
「ん?おじいちゃんと」
「誰も居ないじゃん」
「居ないんだけどね、声はちゃあんと聞こえてるのよ」
「ふーん?」
なずちゃんは、もう手に食べかけの揚げパンを持っていた。
「学校は?」
「試験期間だから、午前終わりなんだー」
畳みに寝そべって、足を投げ出して揚げパンを食べ始める。
「あ、お行儀が悪い」
「おばあちゃん家だからいいんだよー」
足をバタバタ。気持ち良さそうにしてる。
「ねぇ、おばあちゃん、少しだけお小遣いくれない?」
「なんで?」
「明日、デートなの!」
なずちゃんのほっぺがプリっと上がって、照れた笑い方が可愛い。初めての彼氏ができて、2ヶ月目だとこの前話してたっけ。
「じゃあ、少しだけね。お母さんには内緒ね」
「やったーーー!」
やっぱり足をジタバタして、ごろごろと寝転がってる。誰かさんそっくり、と思う。
夕方の散歩。
いつもの河原に来て、芝生に腰掛ける。
外灯が灯り始めて街がオレンジ色に染まる景色が、一番好きだなぁと思う。
いつもの犬の散歩をしている人が、幾人か通りすぎる。
川をぼんやりと見ていると、なぜか涙が流れてきた。
「ねぇ、あなた。なんで私は泣いてるのかしら?」
「悲しいからだろ?」
「違うわよ。さびしいんですよ」
「そうか」
「また、あなたに会いたいわ」
「お前はまだ来ちゃ駄目だ」
「なぜ?」
声が、すぅっと聞こえなくなった。
ずっとずっと、聞こえてたのに。
「あなた?」
ホントに居なくなってしまった、と思うとまた次から次に涙が溢れてきた。
その次の日から、時々胸の苦しさを感じることが増えていった。娘も、「お母さん、身体どう?」と頻繁に見に来てくれる。
もしかしたら、あなたがあちらで私を迎える準備で忙しいのかもしれない。だから、なかなか下りてこられなくなったのかもしれないわ。
そう思うと、苦しさも和らいで、少し笑っていられた。きっと、今頃「全く、まだ駄目だと言ったのに」って言いながらバタバタと大忙しで準備してるんだわ。
私も、準備をしなきゃ。
あの頃使っていた丸いちゃぶ台を、今も使っている。子ども達がペンで落書きした跡は、今も消えていない。赤ちゃん椅子に座って嬉しそうにご飯を食べていたときの顔を、鮮明に思い出す。
「可愛かったわね」
賑やかな夕飯の風景を、思い出す。
緑の野菜が大嫌いで一所懸命、お皿の端にやっているのを、あなたが怒ったんだっけね。
お父さんから怒られると、あなたの目を盗んで私のお茶碗の中に野菜をこそこそ入れてたんだっけね。
思わず笑ってしまう。
もう、50年も前のことになってしまったんだわ。
抱っこしたときの重さも温もりも、まだ腕の中にあるみたいなのに。
皆、今もずっと、一緒にいられたらいいのに。
なんとなく、アルバムがみたくなって、本棚から引っ張り出してきた。
ちゃぶ台の上でぱらぱらとページをめくっていると、二つ折りになったメモが最後のページに挟まっているのを見つけた。
「小春へ」
胸がどきどきする。
手紙なんて、今まで一度ももらったことなかったのに。
今まで、気が付かなかったなんて。なんだろう?と開いてみると
太いマジックで
「愛してるぞ!!!」
と殴り書きで大きく大きく書かれていた。
泣きながら、笑ってしまってた。
「私もですよ」
やっぱり、返事は聞こえなかった。
だけど、右肩が少しだけあったかくなったような気がした。
「ねぇ、おばあちゃん、聞いてる?」
「ああ、ごめんごめん。なんだっけ?」
「だから、サトシってばさー。なずがいるのにさー他の女の子が可愛いとか、そんなことばっか言うんだよ!」
「そう」
「おばあちゃんはモテた?」
「おじいちゃんからはモテたわよ」
「ふーん?」
彼氏ができてから、なずちゃんはファンデーションを塗るようになった。
塗らなくたって、素顔のままだって、ぴかぴかしてるくらいに綺麗なのに。
「またおじいちゃんに会ったら、おばあちゃんはなんて言うの?」
「ん?なんて言うかなぁ・・・」
「会ってみないとわからないか」
「そうだねぇ」
「今日はおばあちゃん家泊まっていってもいい?」
「珍しいね。どうしたの?」
「ちょっとお父さんとケンカしてるの」
「じゃあ、連絡入れとこうね」
なずちゃんとちゃぶ台を囲んで、一緒に煮込みハンバーグを食べてから、一緒にテレビを見る。
なずちゃんが大好きだというお笑い番組を見ていると、楽しそうに手を叩いて笑ってる。湯呑みにお茶を2人分煎れるのも、懐かしい気持ちになる。
寝室に、二枚のお布団を畳みに並べた。
いつぶりかしらね、と思う。
ぴったり二枚並んだ布団を見ると、嬉しい気持ちになる。
「なんか、おばあちゃん家って眠くなるー。なんでー?」
ごろごろごろと布団に寝転がっていたかと思うと、すぐにスウスウ寝息が聞こえてきた。
娘の小さな頃と一緒の、やさしい寝顔だ。
「風邪ひいちゃうよ」
布団をかけ直して、電気を消す。
すう・・すう・・すう・・
なずちゃんの可愛い寝息は、聞いていてすごく心地が良い。
眠くなって、ふと右隣を見ると、なずちゃんのはずなのに、あなたが寝ていた。
「あなた?」
「久しぶりだな」
「どこ行ってたんですか?」
「だから、色々準備ってもんがあるんだよ」
ごろんと、こちらに向く顔が変わってない。
「お前も準備はできたんだろ?」
「少しだけですけど」
「なら、良かった。なずが居るときに下りて来られて良かったよ」
「もう、どこにも行きませんか?」
「ああ。どこにも行かない」
やっぱり、涙が零れてしまう。
布団から右手を出すと、あなたも左手を出して、手が重なった。
ちゃんと、あったかい。
ほっと安心すると、またすうすうと可愛い寝息が遠くから聞こえてきて
私も深い眠りに落ちていった。
眠くなると
懐かしい小さな6畳の寝室が見えた。
敷布団を3枚だけ並べて、小さな子ども達は勢いよく転がっていて、あなたも私も一緒になってはしゃいでる。笑い声が小さな部屋いっぱいに響いてる。
大丈夫。
もう、さびしくない。
そう思ったのに、やっぱり、涙は頬を伝っていった。
* * * * *
あとがき
この物語は、いつか書きたいなと思っていた「私のゴール」のスピンオフの物語として書きました。
もし、お時間が許すようでしたら、是非併せてお読みください。
私の母方のおじいちゃんは、とてもガンコなプレイボーイで少しばかり浮気性で、でも孫にはすごく優しいおじいちゃんでした。2年前に亡くなりましたが、おばあちゃんは今もやっぱりおじいちゃんが大好きだと言っています。
色んな愛の形があると、おじいちゃんとおばあちゃんを見ていて、父と母を見ていて感じています。
きっと、私と旦那さんも。
デコボコ夫婦ながらも、80歳を迎えられたらいいなと思っています。