***今回の記事は少し怖い話しでもあるので、怖い話しが苦手な人は読むことをお控え頂いた方が良いかもしれません・・・
ちなみに、初めて「霊」が見えたのが田舎の祖父母の家へ泊まりに行った9歳のとき。
夜中。
足のつま先から頭の先にかけて、ズァーーーーっ!!!と鳥肌が立つのと同時に、目が覚めました。
意識ははっきりと起きているのに、全く身体が動かない。気持ち悪い。
つまり、金縛りに初めてあった日の夜。
状況が飲み込めず声も出せないでいると、ふすまがスーーーーッと開くのが視界の端でわかりました。
誰かが近付いてくるのが、見える。
頭のすぐ近くで座ったと思ったら、私をのぞきこんでいる。
でも、顔が無い。
なんとなく、年を重ねたのっぺらぼうのおばあちゃんというのはわかる。でも、私のおばあちゃんじゃない。もう少し、年を重ねたおばあちゃんだ。
目をぎゅっとつぶって、いなくなれ!いなくなれ!と念じていて・・それからは怖くて目が開けられないまま、気が付いたら眠っていました。
朝起きたら、いつも通りで。
それから私は、時々金縛りにあったときにだけ「霊」が見えるようになっていました。
夢じゃないの?
って言われるんですが、家族がそこに居るのと同じように、きちんとそこに「居る」んです。だから、「見える」というよりも「居る」のが本当のところで・・・。
小学校高学年になって、兄と部屋が分かれるとやっぱり時々は金縛りにあっていました。
小学校高学年のときによく見えたのが
身長2メートルくらいの男の人が枕元で私を見下ろしているところ。
やっぱり、顔が無い。
なにか話しかけるでもなくアクションを起こすでもなく、その大きな男の人はよく私の枕元に立っていました。
脚が異様に長かったから、心のなかで足長おじさんって呼んでいました。
そして、20歳のころ。
私は看護の道にしか進むことが許されていなかったので、看護学校へ進学しました。
家からは通えない距離だったので、寮生活を送っていました。
「看護師になったら、自由に生きなさい」
10代のころ、親から呪文のように何度も何度も言われたこと。
クリエイティブな仕事がしたい、そのための進学をしたいと訴えましたが
「小春程度の才能は、世界に五万とある。
その程度では、飯は食べていけない」
と、看護学校以外への学費は一切出せないと、受け入れられることはありませんでした。
寮生活をしていたときに感じていたことは、
ここに居たくない。
私がやりたいことでは、ない。
自由が、ない。
試験では山のような赤点を取って、なんとかギリギリのところで追試を切り抜けていました。国家試験も先生たちのなかで自分がブラックリスト(落ちるだろうと予想される生徒)に入っていたのは知っていましたが、予想に反してなんとか合格していたのでした。
話しを戻して。
つまづかないように、精神的にギリギリだった3年間。
なんとしても、看護師の免許を取って、必ず自由になる。
それだけが、私の唯一の希望になっていました。
闘っていたその3年間が、私のなかで最も霊感が強かった時期だったんだな、と思っています。
1年生のとき、私は共同風呂場の向かいの湿った、少し薄暗い部屋に住んでいました。
試験勉強をするときには、大体は徹夜になります。
とても覚えているのが試験が終わって、ホッとした日の夜。
いつものように少し固いベッドで眠っていると、また夜中に足元からズァーーーーーー!と血の気が引いていくような鳥肌が立って。
まただ。怖い。早く終われ。
そう思って目をつむったままいたけど、なかなか金縛りは解けない。
金縛りは解けないのに、身体が揺らされているような感覚になりました。
目を、開けちゃいけない。
そう思った瞬間に薄く目を開いたら
私と同い年くらいの顔の無い女の人が
ガンガンガンガンガンガン!!!と
目の前で頭を振っていて。
恐ろしくて、ふたたび目をつぶることしかできない。
早く終わって・・・!
目をぎゅっとつぶったまま、その日もそのまま眠りに落ちていました。
ある日、授業が終わった後に友人が「心霊スポットのダムに行ってみたいんだけど、一緒に行かない?」と持ちかけてきました。
高校のころから仲が良かった友人。
看護学校でも同じクラスで、彼女と話す時間は私にとって一番のリフレッシュの時間でした。
単純に、その友人とお喋りしたかったから「うん、行こう!」となんにも考えずに返事をしていました。
だって、起きているときに私は霊を見たことがなかったから。
金縛りのときにしか、霊は見えない。
だから、心霊スポットに行っても大丈夫。
そう、思っていました。
友人が車で迎えに来てくれて、コンビニでお茶やお菓子を買い込んで、ぺちゃくちゃと話しながら心霊スポットへと向かいました。
ダムが近くなって、ウネウネとした山道を登っているとき、何か変だな?って思いました。
おかしいな・・おかしいな・・
これだと、稲川淳二ですね。w
身体が、サワサワする。
肌の表面が粟立つような・・うぶ毛が逆立つような・・・すごく変な感覚。
ダムが目前に迫ってきたとき、赤い大きな鳥居がありました。
ダムなのに、なんで鳥居??
と、思ったときに
白いうっすらとした丸いものが窓の外を通ったのが、見えました。
「今、見えた?」
「え、何かいた?」
「うん、白いのがいた気がしたんだけど・・」
運転している友人は
「タヌキでも通ったんじゃない?」
と笑っていました。
そうなのかな・・。夜になると、タヌキも出るからな。
でも、タヌキは窓の外に見える高さは走らないと思うんだけどな・・・と思っているうちにダムに到着しました。
友人が車を降りよう、と車のキーをひねってエンジンを止めました。
周囲に住宅はなく、山深いダムは
車のエンジンが止まると、音のない静寂が耳を刺すような気持ち悪い空間で。
だだっ広い、真っ黒の深い深い穴のようなダムが
薄暗い灯のなか、口を開けてボンヤリと見えていました。
1歩1歩、友人と一緒にダムに歩み寄っていくと同時に
首の後ろがザワーーーーーーーーー!!!
と一気に粟立って。
怖い。何か見えているわけじゃないんだけど
ここには、絶対に居ちゃいけない。
それだけは、分かったから
「もう、車に戻ろう」
「なんでよ、来たばっかりだよ。もう少し見てこうよ」
「だめだよ。ここは居ちゃダメなところだよ」
友人の手を半ば無理やり引っ張って、車に戻りました。
帰り道、やっぱりさっきと同じところで白いまん丸いものがフワァーーと窓の外を通りすぎていくのが、見えました。
それからも、たびたび寮のなかで金縛りにあって。金縛りにあっても見えるときと見えないときはあります。
もう一つ。今でも強烈に覚えている金縛りは
目が覚めた。
身体が動かない。
夜のはずなのに、ずいぶんと周りは明るい。
と思ったら、私の身体はフゥっと自分の身体から抜け出て浮き上がりました。
起き上がると、勝手に身体は開いている窓の方へ向かって走って
ベランダを乗り越え、3階くらいの高さから空中を舞う。
地面にぶつかる!!!
と思って目を閉じると、また意識がベッドの上の私に戻る。
と、またフワリと浮き上がって窓の外へ身を投げ出す。
地面スレスレのところで、ベッドに戻る。
が繰り返されて。
もうやめて。と思って目をギュッとつぶって、同じ繰り返しの中眠りについていました。
もちろん、夢だといわれればそれまでなんです。
そのときの私の部屋は、1階ですから。
でも、「体験した生々しい記憶」として、私のなかに刻まれていました。
そんな、20歳の夏のある日。
授業も終わって、寮からほど近いコンビニへと、おやつを買うために1人で向かいました。
購入したおやつと炭酸水をバッグに入れて、なんとなくその日は遠回りして歩こうと思っていました。
今まで歩いたことのなかった道に、入る。
歩くのが好きだから、鼻歌でも歌いたい気分で30分ほどは歩き回っていました。
知らない道だけど、なんとなく方角はわかっているから、きっと寮へは戻れる。
と、空が急に灰色に染まりました。
雨が降り出しそうな空。
にわか雨が来るかもしれない。
そろそろ、戻ろうと視線を道に戻すと
目の前の世界も、重い灰色に染まっていました。と、
赤い傘を差した女の子が、立ってる。
田舎道で人がいないと思っていたのに、いつからあそこに立っていたんだろう?
まだ雨は降っていないけど、なんで傘を?
少し不安な気持ちになりましたが、曲がれる道は無いのでその女の子の方へ歩き始めました。
何か、おかしい。
と思ったときにまた、ズァーーーーーー!!!と
首筋を這うような鳥肌がやってきて
私は自然に歩みを早めていました。
女の子は、静かに立っている。
なんとなく視線をそらしながら、私はその子の横を通り過ぎました。
鼓動が、身体全身に響くような感覚に襲われながら。
顔があるのかないのか、見られる勇気はなくて。
もしも本当に「見えている」のなら、そこから何かが始まってしまうような気がして。
早足で通り過ぎた後は、振り返ることはありませんでした。
今は?
今は、金縛りはだいぶ減ってきました。
その理由は、ほとんど仰向けで眠らなくなったから。
疲れているときに仰向けで気を付けの姿勢をして寝ると、私の場合は高い確率で金縛りにあいます。
だから、金縛りにあわないように横を向いて寝ることがクセになりました。
横を向いていれば、私の場合は100%金縛りにならないからです。
と、家族が一緒の部屋で眠っているという安心感もあるのかもしれません。
それに、なんとなく「見る力」自体が子どもを出産した後に、だんだんと弱くなっていることも感じていました。
それでも、倒れるように眠ってしまった日は、姿勢など気にせず仰向けで寝てしまう日もあります。
グァ!!っと足の先から波立ような鳥肌が立ったとき、もう、私は目を開けることはなくなりました。
まぶただけは、自分の意志で自由にできるから。
ぎゅっと目をつむったまま、決して目を開くことはなくやり過ごします。
まだ「居る」としても、もう二度と見たくはないから。